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居眠りサラリーマンのお財布スリ事件

終電で朝まで寝ていたサラリーマンのお財布を盗んでしまったおじいさん。

「スリはあきらめが肝心」。そう語る彼は、競馬をやめて、余生をどう過ごすのか。

 

予定が消えた夏の日を、私は法廷で過ごすことにした。


近所の地方裁判所に電話で問い合わせると、担当者の若い男性が詳細を教えてくれた。


「今日の11時からは、詐欺罪、覚醒剤、窃盗、強盗です!」

意外に明るい声だったので、テレフォンショッピングのようだ。
「民事事件と刑事事件があるんですが、刑事事件の方がわかりやすいですよ!」

基本的に裁判傍聴の申し込みは不要で、直接法廷に行ってしまって大丈夫なのだと言う。話題になった大きな事件の傍聴には整理券が必要だ。だが、小さな裁判であれば、法廷のどこかしらで行われているようだ。



1.極道のお守りはパワーストーン?



裁判所は節電のため薄暗く、俯いている裁判関係者の家族の姿も見られたため、病院のようだった。



無機質な廊下の「開廷中」と光る扉を開くと、もうそこでは裁判が始まっている。唐突な構造なのだ。

扉を開くと、見るからに鬼の形相のお兄さんが裁かれていた。

ギーと音を立てて椅子に座ると、三角の鋭い目で睨まれた。


傍聴席には子分のような方が座っていた。怖いお兄さんは手首に流行の木の数珠やパワーストーンのブレスレットをつけており、子分もおそろいのものをつけていた。


どうしてこんなにパワーストーンのブレスレットが流行っているのだろう。「ヤクザ300人と飯を食った男」という本には、「ゲン担ぎで身につける人が多い」と書いてあった。そんなに安心感を与えてくれるのだろうか。



悪そうな人も、幅広い年齢層の女性もファッションアイコンとして同じ物を手首にはめているのは、珍しい現象だろう。



つまらなかったので、法廷を出て、別の法廷のドアを開けたが、その扉は裁判官用の扉であり、危うく法廷に参上してしまうところだった。

傍聴人用の扉と裁判官用(法廷に通じる扉)は色分けされておらず、間違えやすいので要注意だ。

2.スリ仲間は見ればわかる。



その法廷では「居眠りサラリーマンのお財布スリ事件」の裁判が行われていた。これは、終電に寝ていたサラリーマンのビジネスバックから被告がお財布を盗んだ事件だった。


最初は、生活費に困窮した老人がスリで米代を賄っている寂しい事件に思われた。だが、実は生活保護費を競馬で擦ってしまうワルい事件だった。
なるほど、そう分かると物悲しく思えていた背中の被告が、途端に悪そうに見えてくる。


裁判に被害者の姿はなかった。裁判というと、被害者が弾圧している雰囲気を想像していたが、いない場合もあるのだ。終電の中で朝まで寝ていたことが知られるのも恥ずかしいのだろう。



日頃のスリについて聞かれ、被告は
「スリは、スリ仲間とやっています。初対面の人間でも、顔を見ればスリ仲間かは、なんとなくわかります。」と語っていた。

ぼんやりとした口調で、「えーと、」と考えながら喋っている。



「スリ仲間とはよく会うのか?」



「最近はあまり会いませんねえ。」



「日頃のスリの手口は、どんな風か?」と聞かれ、

いけそうだと思ったら鞄に手を突っ込むが、無理そうだと思ったら、潔く諦める、と言っていた。なんでこんな話になっているかというと、検察官がつっこむからである。被告を囲む警察の一人が居眠りしそうになっていた。


この諦め発言に対し、検察官が執拗に追及していた。


「諦めるとかっていうのは一体、どういう意味ですか!?」


黒縁眼鏡が似合う新人の検察官は声を怒りを露わにしていた

「法の下で悪を裁いてやる」と高い理想の下に生きている雰囲気だ。

人生負け知らずで自信満々な感じである。

だが、検察官の追及に対し、中央のベテラン裁判官は「君、まだ青いねえ」といった様子で優しく諭した。

「そこは重要じゃないから、追及するのはあんまり意味がないね」


検察官は口を閉じたが、納得がいかない様子だった。



裁判官は被告に向き直った。
「競馬に代わる楽しみは無いの? 他に楽しみ見つけないと、寂しいよ。」
仏のような穏やかな声だ。


「もう年だから・・・田舎に帰ろうかと。図書館なんかで本を借りるのが好きだから。」


「それが、いいね。年齢のこともあるし・・・最期に畳の上で生涯を終えられるようにね。」

 

白髪に笑い皺のある穏やかな裁判官に、被告は感銘を受けていたように見えた。

 

判決を待つ間、傍聴席に背を向けて座っていた被告と警察は、法定の右手に一列になり、裁判官の方に体を向ける。なぜか姿勢を変えるのだ。

そして、判決が読み上げられたら、再び戻る。
「起立!」の声で警察は敬礼するのだが、めんどうくさそうにしていた。



懲役は2年半だった。
被告は深く頭を下げ、「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。」と法廷を後にした。



劇場のようだった。木嶋佳苗裁判(結婚詐欺と連続不審死事件)の時にも、検察側が裁判員に「朝起きて雪が積もっていれば、夜中に雪が降ったと思う。それが自然だ。」と語っていたという。事件の真相は闇の中だが、その言葉が印象的だった。裁判の言葉は意外と詩的なのだ。



書記官はハリーポッターのような黒い服を着ていたが、この服は「法服」と呼ばれるものだ。何色にも染まらない心を表すためだそう。



プライドの高そうな検察官は、きりっと口元を結び、書類を濃紫の風呂敷に包んで帰って行った。この風呂敷には金色の飾りがついているので、古風で粋である。

小道具や衣装に凝っているから、言葉もより含蓄あるものに聞こえるのだろう。法廷で一日を過ごすのも、いいかもしれない。



                    文・絵 ドクガクテツガク編集部 かな子

 

 

 

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