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大道芸人、雪竹太郎氏からの手紙                          

ミロのヴィーナス、モナ・リザ、ゲルニカ。

観衆と一体となり、美術作品を全身で模倣する。その名も、人間美術館。

彼は何を思い、日々表現をしているのか。

「人生はアンチテーゼ!」と唄う雪竹氏からの手紙を紹介する。

 

雪竹氏との出逢い


私が雪竹氏を初めて見たのは、二年前の春のことである。
花見客でにぎわう上野恩賜公園。人込みを掻き分けた先に中心がぽっかりと空いた空間がある。覗き見ると、全身に白い粉が塗りたくられた男性の姿があった。思わぬ展開に私は言葉を失った。「狂気・・犯罪・・」という言葉が頭を駆け巡った。恐怖さえ感じた。

スキンヘッドの険しい表情。頭には縄の輪を被り、腰に白い布だけを巻き付けて立っている。キリストか仏のような格好だ。六十代くらいに見えるが、鍛え上げられた筋肉はギリシア彫刻のようである。

この穏やかな桜の風景とはそぐわぬ強烈さ。落ち着いて周囲を見渡してみると、「東京都ヘブンアーティスト 」の旗があった。そこで初めて、男性が大道芸人としてここに立っている、という状況を理解した。通行人は立ち止まり、異様な雰囲気に驚きと不安の入り混じった表情で男性を見上げていた。
雪竹氏は沈黙を突き破るように、観客を睨め回した。
そして、そっと白い台を指さした。
​「人間美術館」。


そう書かれた小さな白い台の上が舞台である。その小さな台によっこらしょ、と逆立ちになって反り、名古屋城の「鯱(しゃちほこ)」の姿となった。彼は次々に体の形を変えていく。穏やかな笑みを浮かべて「弥勒菩薩像」になったかと思えば、「オーマイゴッド!」の表情で「ムンクの『不安』」を表現してみせる。
そして、いきなり布を被ってロダンの『引き攣る手』。

この瞬間に通りかかった人には、何を意味しているかが全く分からないであろう、シュールな光景だ。
突如、西アジア系の少女と少年がやってきた。少女はお祭りで買った風車を手に、ふわりと裾の広がったドレスを着ている。さながらオリエントのお姫様のようだ。二人は投げ銭箱の前に立つも、何もせずに去って行った。

かと思えば、雪竹氏が白いTシャツを羽織り、遠くの噴水に向かって走り出した。


ミロの『ヴィーナス』

もう、何が何だかわからなくなってきた。おじさん達の反応の薄さが悲しい。ひと段落すると、雪竹氏はとぼけた表情で棒立ちになり、投げ銭箱を指さした。尚も沈黙を保ったまま、眉毛を下げた情けない表情で観客を見渡す。すると、坊やがやってきて、投げ銭にお金を入れた。雪竹氏はすがりつくような顔で、坊やと握手をした。坊やは照れながらも緊張で固まっている。やはり怖いのだろう。徐々に観客から笑い声が聞こえてくる。
雪竹氏は観客に手招きをした。協力者が必要なようだ。だが、誰も前に出ようとはしない。台を降り、観客のところまでやってきた。観客と雪竹氏の間は五メートルほどの距離があったが、白い裸足のまま、ぺたぺたとアスファルトを歩いて渡ってくる。そして、カメラを首から下げた気のよさそうなお兄さんを半ば強引に連れてきた。


ミケランジェロ 『天地創造』

雪竹氏は初めて言葉を発した。
「次の作品は群衆画ですので、僕一人ではできません。ぜひみなさんのお手伝いがほしい。五名ほどお手伝いくださると、ご覧にいれることができます」
どんな予期せぬ状況が待ち受けているかはわからない。誰も前に出ようとはしない。


雪竹氏は再び台を降り、観衆のいるところまでやってきた。手を引っ張られて、拍手で見送られてきた人々は、照れながらも何かを諦めた表情で前にやってくる。雪竹氏からポーズの指示があり、女性は男性のお尻の上に足を乗せるポーズを要求された。女性は申し訳なさそうに男性のお尻に足を置いた。ゲルニカの完成だ。もちろん、みな赤の他人同士である。
女性の足元に白いタオルが置かれていることに注目してほしい。これは雪竹氏の心配りであり、愛である。人々をてんやわんやに巻き込んでいるように見えながら、実は紳士的な方なのである。一方、男性の体勢はかなり辛そうだ。顔を真っ赤にして息んでおり、なんとなくいたたまれない気分になった。「なんていい人なんだろう。」と、皆は思っていたに違いない。
ゲルニカを演じる人々は、照れながらも得意げな表情をしている。雪竹氏は観客の一人一人にお礼を言い、拍手をしてフィナーレとなった。
ピカソ 『ゲルニカ』

なぜ雪竹氏は、「人間美術館」のパフォーマンスをしているのだろう。そして、どのような考えを持って活動しているのだろう。二年間、雪竹氏を思い出す度に気になって仕方がなかった。当時は話しかける勇気が無かったが、意を決して取材を申し込んだ。お返事は、「都合で取材を受けることはできない」とのことであったが、文章を送って下さったのでここに掲載する。


サグラダ・ファミリア

 Ⅰ

十九世紀の末に始まり、現在もまだ建設中の聖家族教会、
サグラダ・ファミリア/バルセロナ/スペインのところどころには、既にして、夥しい数の訪問客たちの落書きが残されているという。中に、日本語の落書きもあって、そのことを同胞として深く恥じる 、という趣旨の旅行雑記を読んだことがある。
「サグラダ・ファミリアの落書きは日本の恥、世界の恥!」

僕はその落書きをしかと見てはいないが、この記事を読んで改めて感心したのは、そんな落書きや建築の難航をことさら糊塗せず、おおらかに完成していくように見えるサグラダ・ファミリアと、この、スペイン人たちの神経、感性だ。建築途中の落書きだらけの、継ぎはぎだらけの教会を、堂々と公開している。むしろ、愉快だ。

僕は、いつか僕の亡きあとも、まだまだ建設途上にあり続けるのであろうサグラダ・ファミリアに励まされながら、毎夏、十年以上、バルセロナで仕事をしてきた。
或る年々は毎日、宿からそこまでランニングをし、周りをひと巡りだけしてから宿へ戻り、それから仕事場へ向かう。昨日も、去年も、一昨年も、サグラダ・ファミリアは同じに見える。ところが、五年、六年…経ってみると、或るときから、確かにサグラダ・ファミリアは変わり始めている。完成に向かっているのだ。そして、その完成を、僕が見届けることはないのだ。建築を始めた人々が、誰一人として、今のこのサグラダ・ファミリアの姿を目にすることがなかったように。

それでいい。
僕もまた蝸牛のようにゴールの遥かな、同時にそこがいつでもゴールでもあるような生き方、死に方、仕事をしよう。そうして日本に帰って来て、ときに、本当に先の見えない季節季節を過ごしてきた…。

                            Ⅱ
懐かしいバルセロナ・ランブラス通りでも、真冬の渋谷・ハチ公広場でも、僕の心の背景には、いつも未完成のサグラダ・ファミリアが建っていたように思う。ときに靄がかかり、遠くかすみ…。気がつくと、倒壊しかけもし…。
結局、まだ建っている。まだ建ち上がり続けている。

僕の仕事は、人生は、世界は、僕が死んでも終わらない。聖家族教会サグラダ・ファミリアは、世界は、そして宇宙はいつでも建築途中の、それでも立派な作品なのだ。落書き、傷跡、継ぎはぎだらけの作品なのだ。僕の作品を、仕事を、人生を、僕一人で完成させようとすまい。世界の真っ只中で世界と揉み合い、睦み合いながら紡ぎ出し、織り上げていこう。
ときには、破れかぶれにもなろう。

                            Ⅲ
僕の大道芸、サグラダ・ファミリア、そしてこの宇宙が全部、近代演劇/近代芸術/近代文化…教育…文明へのアンチテーゼ。小学校の図書室の書棚に並んだ偉人たちの伝記本へのアンチテーゼ。人格、或いは道徳思想、個人崇拝、英雄主義への、はたまた大道芸ワールドカップ、○○勲章、ノーベル賞へのアンチテーゼ。

世界に、宇宙に悟りの光が現れるまで、僕にも悟りは現れない。

(…この世は、僕の人生は、僕一人の手には負えない、手に余る代物…)。

僕一人仏になろうとすまい、なれないという意味だ。

                                 大道芸人・雪竹 太郎

 雪竹太郎(ゆきたけ たろう)

東京都を拠点に活躍している大道芸人。
早稲田大学文学部在学中にパントマイムを習い始めたことが、大道芸を始めるきっかけとなった。毎年、国内外の大道芸フェスティバルで公演を行い、海外でも高い評価を得ている。
都により、公共の場での大道芸を認可された「ヘブンアーティスト」として、パフォーマンスをしている。

雪竹太郎
東京都を拠点に活躍している大道芸人。
早稲田大学文学部在学中にパントマイムを習い始めたことが、大道芸を始めるきっかけとなった。毎年、国内外の大道芸フェスティバルで公演を行い、海外でも高い評価を得ている。
都により、公共の場での大道芸を認可された「ヘブンアーティスト」として、パフォーマンスをしている。

手紙を読んで

 

 

雪竹氏は観衆と一体となって自身の人生を完成させていくために、「人間美術館」を公演しているのである。このことは、観衆に呼びかけ、「ゲルニカ」を共に完成させるパフォーマンスにも色濃く表れている。どんなに破れかぶれになっても、たとえ一生を終えても、路上で思いを表現し、観衆と舞台を作り上げる。「人間美術館」は、このような思いのもと、日々公演されてきたのである。
人生は近代文明へのアンチテーゼ!
文中には「僕の大道芸、サグラダ・ファミリア、そしてこの宇宙が全部、(中略)近代文明へのアンチテーゼ」と記されている。このアンチテーゼとは何なのだろうか。雪竹氏は、東京都ヘブンアーティスト制度についての考えも同封してくださった。

「東京都でも「ヘブンアーティスト事業」が始まりました。
大道芸の許可制度、それは、「不許可制度」と表裏一体を成しています。
都市とは、行き交い、袖を触れ合わせる者たち同士が、互いに言葉を交わして、心を配る。時には、ぶつかり合い、譲り合い、また助け合って高め合っていく。そんな場であるべきなのです。そのような社会にこそ、大道芸の場は成り立ち、観客と芸人との共同作業で大道芸作品が創り上げられていくのです。
ところが、東京の大道芸文化は、モラルの上にではなく、ルールの上に据え直され、育て直されようとしています。(中略)
路上に出て活動することは、人間的な健全さの表れであって、都市の自然治癒能力の表れなのです。この自然治癒能力を、管理によってしか伸ばすことができない二十一世紀の日本の文明は、やはりどこかおかしいと感じるのです。」

行政が文化を管理し、制限するべきではない。都市は、もっと自由で、人と睦み合い、交わり合う場でなければならないと、雪竹氏は述べているのだ。
時折ふんどしに挟んだ葉っぱを覗かせたり、天使の輪を頭に被ったりするお茶目なパフォーマンスには、人々と真摯に向き合い睦み合おうとする、雪竹氏の強い思いが込められていたのである。



                 取材・執筆: ドクガクテツガク編集部 かな子

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